トップページ | 2011年3月 »

2011年2月の7件の記事

2011年2月26日 (土)

松岡正剛 『多読術』(ちくまプリマー新書)

4480688072 多読術 (ちくまプリマー新書)
松岡 正剛
筑摩書房  2009-04-08

by G-Tools

『多読術』(ちくまプリマー新書)
著者:松岡正剛
出版社:筑摩書房
出版年月:2009年4月10日

[感想]
後日

[以下、個人的な備忘録]

目次→パラパラ→読書

■P.69
読書の醍醐味とは、未知のパンドラの箱が開くということ。
パンドラの箱が開き、そこに伏せられていたものが、自分の前に踊り出てくるということ。
「雷鳴の一撃を食らう」(ポール・ヴァレリー)という楽しみ。
「無知から未知へ」が読書の醍醐味。
無知だからこそ読書はおもしろい。無知があるから未知に向かえる。

■P.74
ヘルマン・ワイル『数学と自然科学の哲学』
(プラトン『ティマイオス』をワイルの味蕾を使って読んだ。)

■P.92-93
著者が「書く」という行為は、読者が「読む」という行為ときわめて酷似している。
著者というものは、意外にも書くことに苦労している。
いろんな複合的なエレメントが錯綜して、それをやっと捌きながら書いているのが実情。
自信に満ち、ときに理路整然と、ときに端然と書いているように見えるが、けっしてそんなことはない。実際には、複雑な文脈の可能性をやっとまとめている。
しかし、なんとかコントロールして書きあがったものは、まあまあの見映えのものになる。
それはやっと「読むモデル」になったから。つまり著者や編集者は、「書くモデル」をなんとか「読むモデル」にしていくということをしている。それが書物というものである。
もとをただせば、もともと「書くモデル」は「読むモデル」を目指さざるをえないということ。これを「読書する」というほうから眺めると、本を書く前でも、本を読む前でも、実は相互に似たような「読書世界」が前提になっていたということ。

■P.95
書くもの読むのも「コミュニケーションのひとつ」である。人々はコミュニケーションをするために、書いたり読んだりしている。執筆も読書も「双方向的な相互コミュニケーション」である。

■P.99
編集工学
コミュニケーションにおける情報編集のすべてを扱う研究開発分野のこと。
人々のあいだ、人々とメディアのあいだのコミュニケーション。
編集工学の目的
「形式的な情報処理」ではなくて、「意味的な情報編集のプロセス」を研究して、そこに人々の世界観がコミュニケーションを通してどのように形成されていくか、変容されていくかということを展望することが目的。

■P.105-
音読から黙読への変化
人類が黙読(目読)できるようになったのは、おそらく14世紀か16世紀以降のこと。
それまではほとんど音読であった。
※ヨーロッパ中世の図書館の図、『源氏物語絵巻』

・ミルマン・パリー(文法学者)

・マーシャル・マクルーハン
→人類の歴史は音読を忘れて黙読するようになってから、脳の中に「無意識」を発生させ てしまったのではないか。

■P.125
本は多様な読み方をするべきである。
本によって、また読み方によって、さまざまな感情やテイストやコンディションになれるかどうかということ。その多様性を楽しめるかどうか。

■P.128
集中多読のときは服装も変えた。

■P.128-
「江戸の私塾」の読書法
菅茶山(かんちゃざん)「黄葉夕陽村舎」「廉塾」:冬夜読書
広瀬淡窓(ひろせたんそう)「咸宜園」:句読
池田草庵(いけだそうあん)「青谿書院」:掩巻、慎

■P.130-
個性の本質は「好み」だろう。最初から個性というかたまったものがあるわけではない。「好み」の揺れ幅のようなものが個性をつくっている。だいたい個性という言葉の語源はペルソナ(仮面)であり、それがパーソナリティ(個性)になった。ペルソナは猫っかぶりになるという意味ではない。何かに「なる」ということである。何になりたいかは「好み」による。

自分では気がつかないが、実は「好み」というものは細部においてはきわめて多様で、複雑である。その上に、おおざっぱな「傾向」というものがぼんやり成り立っている。「好み」は非常に多様で、バラエティに富んでいる。それが個性というものを成立させている。

■P.138-
読書は「わからないから読む」に尽きる。「無知から未知へ」の旅。
読書をもたらす書き手のほうも、実はわからないから書いている。自分では「わからないこと」だから、その本を、その作品を書いている。
読書は「伏せられたものが開いていく」という作業。「伏せられたもの」が書物で、「開けていくもの」が読者。鍵穴が書物で、鍵を入れるのは読者。その関係の仲人を編集者や書店が用意する。まさにパンドラの箱を開けるべく、その鍵と鍵穴の関係のプロセスに入ることが重要。そういう読書ができれば、読書傲慢にもならないし、読書退屈もしない。

■P.141
下村寅太郎(日本を代表する科学哲学者)
「いつ、これだけの本を読まれるんですか」
「君はいつ食事をしているかね」

■P.178
出来事や社会や世界を見るための視点は二つある。
「鳥の目」オムニシエントな視線。俯瞰的にその世界を眺める。
「足の目」オムニプレゼントな目によって、その世界の中に入っていって見る。
たいていの物語も、「鳥の目」「足の目」による描写で成り立っているので、読書するときも、これをかわるがわる使う必要がある。

井上ひさし
戯曲を一本書くたびに100冊から300冊くらいの本を読む。
「年表」と「地図」を丹念に自作する。「登場人物型の地図年表」に総合化されていく。
戯曲全集に一部入っている。

■P.184
ソフトウェアの利用者は、知識や情報がピンポイントで引っぱり出されるために、自分がどのように「知の構造」と向きあっているかは、わからない。

場所をとらないことや、モビリティ(運びやすさ)は大変便利だが、その「場所」こそがもともとの「知」を支えてきたということが見えなくなっていく。将来、「知の場所」を上手に見せていけるようなGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)などが必要。

ピンポイントな検索は、いちじるしく連想力を落としている。連想力は創造の基本である。
・高田明彦(情報学研究所)「GETA」「ウェブキャット」

デジタル情報を入れておくしくみを外に見せること、そこに行くルートに多様性と連想性が発揮されること。

★語彙
味蕾(みらい)
エントロピー
アナロジー
片言隻句(へんげんせきく)
傑物(けつぶつ)
ネッセサリー

★人名・書名
宮本常一 『忘れられた日本人』『塩の道』
折口信夫 『古代研究』
網野善彦 『日本の歴史をよみなおす』
甲斐大策 『餃子ロード』『神・泥・人』
富岡幸一郎 『打ちのめされるようなすごい小説』
白川静 『字統』『字訓』『字通』

2011年2月16日 (水)

サシャ・ギトリー 『とらんぷ譚』

B00117D56M とらんぷ譚
サシャ・ギトリ マルグリット・モレノ ジャクリーヌ・ドリュバック
紀伊國屋書店 2008-02-23

by G-Tools

『とらんぷ譚』 Le Roman d'un Tricheur

1936年 フランス
監督・脚本・主演:サシャ・ギトリー

若くして突如、天涯孤独の身になってしまった
呑気な詐欺師の危機一髪、波乱万丈の冒険譚。
少年期から壮年期までを息もつかせぬテンポで描き、
物語はまさにトランプをめくるように展開していく。
飄々とした可笑しみの中に、人生の機微。

フランス映画史上に燦然と輝く宝石のような作品。大傑作。
ここまで高度に洗練され、お洒落で、滑稽な作品を他に知らない。
その後のフランス映画への影響大らしいが、
ルビッチ、スタージェスという名前にビンビン反応してしまう人も必見。

監督・脚本・主演の才人サシャ・ギトリーが、
ペテルブルク生まれというのも興味深い。

オススメ度(5点満点 ★1点☆0.5点) : ★★★★★

IMDb 『Le Roman d'un Tricheur』
とらんぷ譚(1936) - goo 映画

2011年2月14日 (月)

梶井基次郎 『檸檬』 (新潮文庫)

4101096015 檸檬 (新潮文庫)
梶井 基次郎
新潮社  2003-10


by G-Tools

『檸檬』 (新潮文庫)
著者:梶井基次郎
出版社:新潮社

散文詩というべき、非常に美しい短編小説集。病的なまでに鋭敏、かつ特異な感覚の深奥に、瑞々しい清涼感が息づいている。

淀野隆三氏の解説に、「梶井は頽廃を描いて清澄、衰弱を描いて健康、焦燥を描いて自若、まことに濶達にして重厚な作風」とあるが、まさにその通りだと思う。

何度でも繰り返し読みたい一冊。

2011年2月 9日 (水)

エルンスト・ルビッチ 『天使』

B001EBGO3G 天使 [DVD]
マレーネ・ディートリッヒ ボリス・モロス
ビデオメーカー  2008-11-25

by G-Tools

『天使』 Angel

1937年 アメリカ
監督:エルンスト・ルビッチ監督
出演:マレーネ・ディートリッヒ、ハーバート・マーシャル
    メルヴィン・ダグラス、エドワード・エヴェレット・ホートン

ルビッチの恋愛喜劇をディートリッヒの主演で。
ルビッチ作品とハーバート・マーシャルの相性の良さが光る。
ディートリッヒは洗練の極み、完璧な美しさ。
ルビッチ・タッチの軽妙洒脱が冴え渡り、
絶妙のラストシーンで思わず喝采。
ちなみに、三島由紀夫もお気に入りだった一作。

オススメ度(5点満点 ★1点☆0.5点) : ★★★★☆

IMDb 『Angel』
天使(1937) - goo 映画

2011年2月 6日 (日)

ガボール・マテ 『身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価』

4531081471 身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価
ガボール マテ Gabor Mat´e
日本教文社  2005-09

by G-Tools

『身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価』
著者:ガボール・マテ / Gabor Mat´e
翻訳:伊藤はるみ
出版社:日本教文社
出版年月:2005年9月

[感想]
後日

[以下、個人的な備忘録]

■P.284
・家族システムズ論の基本概念:“差異化”
「感情面で他者とふれあいを持ちつつも、自らの感情の働きを自律的なものに保っていられる能力」

・十分な差異化を達成できていない人
「自己と他者との間に感情的境界を持たず、思考のプロセスが感情的なプロセスに圧倒されることを防ぐための『境界線』を引くことができない。そのような人は他者の不安を自動的に自分のものとして取り込み、自分の中にもかなりの不安を生み出す」

・十分に差異化のできている人
自分の感情を率直に受け入れて反応する。その感情は他の人の期待に合わせたものでもなければ、他の人の期待に抵抗するためのものでもない。自分の感情を抑圧することもなければ、感情のまま衝動的に行動することもない。

・“機能的差異化”と“基本的差異化”
(ジョージタウン大学家族センター所長 マイケル・カー博士)
基本的差異化の達成度が低い人ほど、精神的なストレスやからだの病気に陥りやすくなる。

・“機能的差異化”
他者との関係を基礎にして機能する能力。たとえば、私は相手が―雇い人でも妻でも子供でもいいが―私の抱えている不安を受けとめ、私の不機嫌や、いい加減な態度や、相手に対する無関心や、あるいは虐待的な行動にすら耐えてくれるときにだけ、仕事の成果をあげることができるとする。彼らが私の求める役割を拒否すれば、私は何もできなくなってしまう。

・“基本的差異化”
他の人が私のかわりに精神的な苦労をしなくても私は私でちゃんとやっていくことができる。つまり人の感情にも自分の感情にも率直でありながら、なおかつ人とのつながりを維持できること。

■P.349
 「healing(治癒)」という言葉が、「whole(全体)」を意味する言葉を語源としており、今でも「wholesome」という言葉は「健全な」という意味で使われていることを、私たちはほとんど思い出すことがない。治癒することは「全体」になることなのだ。(略)
 完全なものが不完全になるにはふたつの道がある。そこから何かを取り去るか、あるいは全体の調和が乱れて、それぞれの構成要素がそれまでのように協働できなくなるかだ。前に言ったように、ストレスと脅威―何らかの非常に重要な欲求が拒絶されるという脅威も含まれる―に対する反応として体内のバランスが乱れることである。

■P.350
 健康になるための潜在能力も病気になる可能性も、私たちすべての中にある。病気とは調和の乱れた状態である。もっと正確に言えば、病気とは体内の不調和の現れだ。病気を外からの異物ととらえれば、私たちは自分自身に戦争をしかけることになりかねない。

■P.351
 救いがたい楽観主義への薬として、私はネガティブ思考の効用を勧めてきた。「もちろん、冗談ですよ」と急いで付け加えはするが。「私が本当に役立つと信じているのは、“思考”の力です」。“思考”という言葉に「ポジティブ」という形容詞をつけたとたん、現実のうちの「ネガティブ」だと思われる部分は排除されてしまう。これはポジティブ思考の力を信じる人のほとんどに見られる現象である。本当のポジティブ思考は、あらゆる現実を認めるところから始まる。そこにいたるには、たとえどんな真実が出てこようとそれを直視できるという、自分に対する信頼感が必要なのである。

 治癒のためには、ネガティブに考える勇気を奮い起こさなければならない。私の言う「ネガティブ思考」は、現実主義を装った暗くて悲観的な考え方ではない。それはむしろ、何がうまくいっていないのか考えてみようという姿勢なのである。バランスを乱しているのは何だろう? 私は何をないがしろにしてきたのだろう? 私のからだは何に対してノーと言っているのだろう? こうした問いかけをしないかぎり、私たちのバランスを乱しているストレスはいつまでも隠れたままなのである。

■P.354
 より明るい考え方をし、悩みが少ないように見える人のほうが病気が重くなるという研究結果がいくつも出ていることは、世間一般の見方に反しているように思われる。普通は、ポジティブな気持ちをもつことは健康にいいと考えるものだ。確かに真の喜びや満足感はからだにいい影響をおよぼすが、精神的な不安を封じ込めるために生まれた「ポジティブ」な精神状態は、病気に対する抵抗力を弱めるのである。

■P.369
 「私たちが感じるストレスやイライラは、本来の自分ではない人間の役割を否応なく果たさなければならないという思い込みから生ずる」とハンス・セリエは書いている。ネガティブ思考の力を発揮するには、私は自分が思うほど強くないと認める強さが必要である。

■P.371
(略)多くの人にとって、罪悪感とは自分のために何かを選択したことを示す「徴」である。深刻な病気を抱えたほとんどの人に向かって、私は忠告したい。あなたが罪悪感を感じないときはきっと何かのバランスが乱れているんですよ。あなたはまだ、自分の欲求や気持ちや興味を後回しにしているんですよ、と。ネガティブ思考の力がつけば、罪悪感を避けるどころか、むしろ歓迎するようになるだろう。きっとエドはこう言えるようになるだろう。「これは罪悪感じゃないのかな? やった! 素晴らしい! つまり僕は正しいことをしたわけだ。自分が変わるために、自分のために行動したいんだ」

■P.372
以前、あるセラピストが私に言っていた。「罪悪感を持つことと恨みを持つことのどちらかを選ばなくてはならないときは、いつも罪悪感を選びなさい。」それ以来、私はその賢明な教えをせっせと人に伝えている。断ることが罪悪感を、承諾することが結果として恨みをもたらすのなら、罪悪感を選ぶべきである。恨みは精神的な自殺なのだ。

 分子生物学者キャンディス・パートは書いている。「楽しいことを考えるだけで健康になるわけではない。長い間抑えつけていた怒りを爆発させることが免疫系に活を入れ、それが治癒の最大の引き金になることもある。」

2011年2月 4日 (金)

ジュリアン・デュヴィヴィエ 『巴里の空の下セーヌは流れる』

B00007KL70 巴里の空の下セーヌは流れる [DVD]
ジュリアン・デュヴィヴィエ
アイ・ヴィ・シー  2003-01-25

by G-Tools

『巴里の空の下セーヌは流れる』
Sous le ciel de Paris coule la Seine

1951年 フランス
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ

パリの一日、パリの風景、アチラコチラで行き交う人々と、
その暮らしを小気味良くスケッチした作品。
初めはバラバラで散漫だった断片が次第に交錯し、
一枚のタブローに仕上がっていく、という印象。
気がついたら引き込まれていた。
若干の後味の悪さは残るものの、
「C'est la vie ! (これが人生さ、人生なんてそんなもの)」
といったところか。

▼印象に残った台詞 (日本語字幕:橋本克己)

~ナレーション
仕事は大変だが 仕事がなくても大変だ

~ナレーション
いろんな職業の人々が 青空の下で食事する
パリがわが家だ

~田舎からパリにやって来たドニーズと
   パリに住む画家アルマンの会話

ドニーズ「あなたには何でも話せる だれより信頼してるわ
アルマン「そうだね
ドニース「でも 私たちの恋は何か違う 家族公認の恋なんて
アルマン「大恋愛をしたいんだな

オススメ度(5点満点 ★1点☆0.5点) : ★★★☆

IMDb 『Sous le ciel de Paris coule la Seine』
巴里の空の下セーヌは流れる(1951) - goo 映画

2011年2月 3日 (木)

コリン・ウィルソン 『ルドルフ・シュタイナー その人物とビジョン』

『ルドルフ・シュタイナー その人物とビジョン』
著者:コリン・ウィルソン / Colin Wilson
翻訳:中村保男 中村正明
出版社:河出書房新社

[感想]
後日

[以下、個人的な備忘録]

■訳者・中村保男氏によると、「本書は人間シュタイナーの生活の現実的側面にも目を向けながら、同時にシュタイナーの思想の本質点をえぐり出すという両極端な性格を特徴としている。」

■悲観主義について
「宇宙には根源的に悪魔的な力がある。」
「人間の心に生ずるさまざまな理想は、残酷で無分別で無慈悲な大自然の結果にたいして無力である。大自然は人間の理想主義にたいして無慈悲にもこう叫ぶ。〈汝は幻影にすぎぬ、さよう、私自身の空想によって生み出されたものにすぎぬ。それを私はときどき虚無の中に投げ返すのだ。〉」

■「われわれの理想はもはや、あまりにもしばしば平面的で空虚である外面的現実によって満足させられるほど浅くはない。が、私は、この洞察によってもたらされる深刻な悲観主義から脱する可能性がないとは考えていない。悲観主義から脱する方法を私は人間の内世界を探求しているときに、つまりわれわれの観念の世界の現実と取り組んでいるときに発見する。観念の世界は、それ自体で完結した領域である。・・・われわれの理想は・・・外的自然からの恩恵や冷遇によって左右されない、それ自らの権利をもった現実ではなかろうか。」(シュタイナー)

■「もし外的自然がわれわれを、手を引かれたよるべない子供のように護っているのだとしたら、われわれの神的自由はどこにあるのだろうか。どこにもありはしない。だから、外的自然はわれわれに何ものをも与えないようにして、われわれが達成する幸福が外からの助けを受けず完全に自分で創りあげたものであるようにしなければならない。」(シュタイナー)

■「ハルトマンによれば、意識の目的は生物にもっと多くの知覚を与えることにほかならず、意識は電灯の発明にたとえられるという。(略)これに対してシュタイナーは、意識は能動的な力であり、その目的は問題に焦点を合わせ集中することだと本能的に感じていた。意識は光ではなくむしろつかみとる手だというのである。そして、このつかみとる手は建設し創造することもできる。」

■(カントを読んで)「哲学者ウィリアム・ジェイムスはひどい抑鬱状態に陥り、いつもおびえ、疲れきっていた。ジェイムスは、私は何かについて考え続けることを選びとることができる、さもなければ、ほかのことについて考えようと心に決めることができる、というルヌーヴィエの自由意志についての定義を想い起こすことによって、九死に一生を得た。」

■「私はこの本(自由の哲学)の中で、感覚界の背後に不可知なるものが存在しているのではなく、感覚界の中に霊界があることを示そうとした。そしてまた、人間の観念の世界は霊界の中にあることも示そうとした。したがって、感覚界の真の実在性は、人間が感覚的知覚のみを問題としているかぎりにおいてのみ、人間の意識からは隠され続ける。」(シュタイナー)

■「シュタイナーにとって人間の意識は、何が何だか訳が分からなくなるほど混乱した感覚印象のなすがままになっている単なる受動的な鏡なのではない。人間はむしろ、意識ならびに感覚印象を司っているオーケストラの指揮者なのである。(略)シュタイナーがニーチェを超えているのは、そうした強さの源泉は〈内世界への参入〉にあることをはっきりと認識している点である。」

■「私はニーチェという人物をこう考えた。その気質と教育のゆえに自分をとりまく文化的・精神的環境の中で真剣に生きるよう強いられてはいるが、〈これらすべては私とどういう関係があるのか-私には嫌悪の念を起こさせるだけだ。もっと別の世界、私が生きることのできる世界があるはずだ〉と感じていた人物である。その結果ニーチェは自分の時代に対して激しい言葉を浴びせる批評家となったが、自らの批評によって病に冒された批評家でもあったのだ。」(シュタイナー)

■「現実の内容は、われわれの心の内容の反映でしかない」「言うまでもなく、われわれは、この内容を生み出しているのは自分自身にほかならないことを認識できる内的な力を備えていなければならない。さもなければ、われわれはあくまでも反映だけを見ていて、そこに反映されたわれわれの心そのものを見ることはできないだろう。実際、鏡に映った自分の姿を見る人は、そこに映っているのが自分であることを見分けるには、自分が一個の人間であることを知っていなくてはならない」(シュタイナー)「要するにこれは、自分が一つの“個人格”であることがはっきりと分かったとき初めて、われわれの周囲の世界を変えるあの無意識的な創造力を理解することができる、ということにほかならない。」

■「『神智学』には、〈認識の小道〉という最終章がある。ここでは、人間はどうしたら超感覚的認識を獲得することができるようになるかが説明されている。数学は、認識の小道のためのすぐれた準備段階であるが、それは、論理、離脱、非物質的実在への集中を教えるからだとシュタイナーは言う。換言すれば、〈見者〉にとってまず必要なのは科学的態度であり、心は混沌から秩序を創り出すことができるという確信である。外的な力がどんなに強力で人をまごつかせるものであろうとも、人間はそうした力にもてあそばれるよるべない存在なのではない。最初の段階は、人間は利害などから離脱することができ、自分の心を、混乱の中を進むための羅針盤として使うことができる、という事実を認識することである。ひとたびこれをなしとげることができたら、人間はすでに〈霊的知覚〉への第一歩を歩み出したことになる。人間は二度と無意味感や敗北感に全面的に降伏することはないであろう。というのも、人間は、自分の真の存在は永遠の世界に根をおろしていることを知っているからである。」

■「たとえば癌-通常は正常な細胞が異常繁殖した病巣-はLフィールド(生命界)を制御する力が何らかの支障をきたしたため生じるのであり、したがって、(意志は基本的に新陳代謝の次元で働くというシュタイナーの主張を念頭に置いていれば)ある意味では癌は意志の力でコントロールできる、ということになる。」

■バーナード・ショーが引用したルソーの言葉
「奇跡をとり除いてしまえば、全世界がイエス・キリストの足元にひれ伏すだろう」

トップページ | 2011年3月 »

2011年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

ウェブページ

最近のコメント

最近のトラックバック

Music

  • Michael Jackson -

    Michael Jackson: Blood on the Dance Floor / History in the Mix
    今一番のお気に入り。ミニアルバム、リミックスアルバムでありながら、オリジナルアルバム群と等しく肩を並べる傑作!『This Time Around』『You Are Not Alone』『HIStory』等のRemixは原曲を超える出来だと思います。 (★★★★★)

Books

脱原発

無料ブログはココログ